祇園祭

平成丙午未会パンフレット参照
小京都西尾の祇園祭
西尾城下の祭は、西尾の祇園祭と呼ばれ
疫病や災厄徐けを祈念する伊文神社の祭礼として
長い歴史を持っています.
祭礼は二日間に渡り行われ、神輿が町中をねり歩き
御劔八幡宮へ渡御する事を中心に
獅子舞・大名行列・屋形が続き祭を盛り上げていました.
江戸時代中期の寛延年間(1748〜)の祭礼記録には
神輿渡御の行列は神輿を中心として
ねり物が随行する行列であったと記されています.
その行列の順序は
傘鉾ー鉄砲ー玉箱ー弓ー長柄槍ー剣旗ー鉾ー榊太鼓ー禰宜
ー神輿ー神主ー長柄傘ー天王町獅子ー肴町大名行列ー須田町囃子
ー本町囃子(手踊り)ー中町囃子(手踊り)ー横町囃子(手踊り)

神輿が造営される前は、太鼓を打ち、笛を吹き、神楽を歌い
おしろいを塗り髪を垂らして女装した神官が牛に乗って
背に御弊を立てた神馬を導き、後続に子供たちが短冊を付けた笹を
手に持ち「サンヤレ サンヤレ」と囃し、町中を廻っていました.

天正十九(1591)年、田中吉政の代に初めて白木の神輿が
作られ、大手前へ御旅所が設けられました.
その後、ご神体を神輿に乗せて伊文神社から氏子の町々をめぐり
西尾城本丸 の御劔八幡宮へ渡御する物となりました.
寛永三(1626)年、城内に設けられた御旅所で一夜を過ごすように
なってからは、祭礼は二日間行われるようになりました.
現在の神輿は明和四(1764)年に京都で造られた物です

江戸時代には,祭礼に対して西尾城主より金銭・米などが奉納され
警固と称し、鉄砲十梃・弓十張・玉箱・矢箱・長柄・の槍が列を組み
神輿は重さ百貫(約375kg)ほど
担ぎ手として多くの若者が集められました.
市街地の所々で休息を取り、近所の人々の御参りを受けて進み
参拝した後に神輿の下をくぐると夏病み市内といわれています。

祭礼は旧暦六月十五日、十六日に行われていましたが,
明治41年からは七月十五日,十六日に変わり
現在は,神輿奉仕者や余興の参加者などの事情から七月十五日に
伊文神社で祭礼が行われ
七月十五日に近い土曜日・日曜日に神輿の御渡が行われています.